母との最後の半年が終わりました。感謝御礼。

母の突然の余命宣告から半年。何度も危機を乗り越えてきましたが、ついに先週末、母が旅立ちました。

急に倒れて末期がんと判明した時には受け入れられない日々が続きましたが、最初の危篤を乗り越えた後、数ヶ月間、訪問介護を受けながら自宅で過ごすことができ、一緒に外食や映画に行くなど、親子の時間を楽しむことができました。この半年で18歳の上京以来もっとも頻繁に広島に帰り、母との大切な時間を重ねることができました。十分な思い出を作れたからこそ心残りはないけど、やっぱり淋しい。

母は最後まで前向きで陽気な人でした。亡くなる一週間前、なぜか「髪をピンクに染めたい」と言い出して(笑)、私も大学時代にピンクにしていたことを思い出しました。1997年、伝説のフジロック初回。台風の中でレッチリが登場し、観客に押し潰されて沈みかけ、救出されたあの夜。ずぶ濡れになって髪のピンクが流れ落ち、ヒステリックグラマーのタンクトップがまだらに染まっていくのを眺めながら裸足で立ち尽くしていたら、無くした靴を彼が探し出してきてくれて――あのとき初めて、人前で泣いたなぁ、と。そんな私が今は、「もう美容院に行くのは難しいって」と母にピンクを諦めるよう諭している。切なくて泣きました。

ともあれ、苦しいとか怖いといった弱音を一切口にせず、私たち子どもに負担をかけまいと、あらゆる準備を整えてくれていました。母が私たちの母であったことを心から誇りに思います。本当にありがとう。

この間、いつ危篤になるかわからない状況が続き、仕事の調整には細心の注意を払いながらも、ご迷惑をおかけしたこともあったかと思います。この場を借りて、関係者の皆さまに心より御礼申し上げます。

私は通夜・葬儀を速やかに終え、決算特別委員会に間に合うように帰京しました。慌ただしい日々ではありますが、議会にも無事に臨むことができました。議会での提言については、また改めて発信してまいります。

母に関わる諸手続きが一段落した後、保留になっていた案件にも徐々に着手していく予定です。

引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。